大阪高等裁判所 平成元年(う)887号 判決
論旨は要するに,原判決は,被告人は知人であるAの名義を冒用して不正に一般旅券を取得することを企て,原判示のように同人名義の一般旅券発給申請書2通を偽造し,これをいずれも真正に成立したもののように装って提出行使したとの事実を認定したうえ,有印私文書偽造及び同行使罪に問擬し,刑法159条1項・161条1項を適用しているけれども,被告人はAの名義を使用することに関して事前に同人の承諾を得たうえ本件申請書2通を作成・提出したものであるから,同人の名義を冒用し,同人名義の文書を偽造した場合に該当せず,原判決はこの点において判決に影響を及ぼすことの明らかな事実を誤認し,ひいては法令の適用を誤ったものというべきである,と主張する。
そこで,所論にかんがみ記録を調査し,当審における事実取調べの結果をもあわせて検討したうえ,以下のとおり判断する。
まず関係証拠によって,本件の事実経過をみると,被告人はかって韓国において刑事罰を受け強制退去処分を受けた前歴を有するため,被告人名義による正規の方法では韓国へ渡航するのに要する旅券の交付を受けられない立場にあったところから,他人の氏名を借りて旅券を入手したいと考え,昭和62年8月下旬ごろ,たまたま知り合ったAに対し,「自分の名前では旅券を取れないので,名前を貸してほしい。」などと申入れ,その後,同年9月8日ごろ右申入れに応じたAから,同人の氏名を用いて旅券申請の手続をとることの承諾を得るとともに,謝礼金と引換えに,同人の戸籍謄本,住民票謄本,国民健康保険証各1通及び「A」名の印鑑1個を受け取り,その翌日ごろ,これを利用して原判示・A名義の一般旅券発給申請書2通を作成し,これを愛知県商工部観光課係員に提出したことが認められる。
ところで,通常の私文書の場合,名義人の承諾があれば,その名義で文書を作成する権限が作成者に与えられ,このような権限によって作成された文書は,名義人の意思を表示するものであって,当該文書の作成名義の真正に対する公共の信用が害されることはないから,右作成行為は私文書偽造罪に該当しないと解されている。
しかしながら,旅券法によれば,一般旅券の発給申請は,同法3条4項に規定する場合を除き,「一般旅券の発給を受けようとする者」(以下「申請者」という。)が都道府県に出頭して,一般旅券発給申請書のほか,同法3条1項2号以下に掲げる書類及び写真を提出し,右写真等によって申請者が「人違いでないこと」(同法3条3項参照)を確認するなどの手続を経て受理され,引きつづき右申請書の記載内容に基づいて,外務大臣等による審査手続が行われるのであるから,本件発給申請書は,申請者本人につき一般旅券の発給交付を受け得る資格が認められるか否かを審査するという公の手続内において用いられる文書であり,したがって,もともと申請者が他人の名義を用いて右発給申請書を作成・提出することは法令上許されないことが明らかであるといわなければならない。ところで,被告人は,被告人自身の名義によって申請手続をとった場合,同法13条1項1号の規定により一般旅券の発給を受けられないおそれがあったため,前示のような経緯で,不法な動機・目的のもとにAの名義を用いたものであり,これら一般旅券発給申請書の法的性質,被告人が他人名義を使用した動機・目的等諸般の事情に照らせば,一般私人間で授受される契約書等の場合と異なり,たとえ名義人の事前承諾を得ていたとしても,その名義を用いて本件申請書を作成する権限を生ずる余地はないというべきである。してみると,所論のように,右Aがその名義の使用を事前に承諾していたという事実は,被告人の本件所為につき有印私文書偽造・同行使罪の成立を認めることの妨げにはならないと解するのが相当である。したがって,この点に関する原判決の認定判断に所論のような事実の誤認あるいは法令適用の誤りは認められない。